夏の超短期留学
8月。都内某所。
わたしは藁にもすがる思いで、とある先生を日帰りで訪ねた。
ちょうど2ヶ月前、わたしは以前からずっと興味のあった楽器を購入した。だが、弾き方がどうにもわからず、独学でマスターすることは難しいと判断。そしてこのたび、その楽器の演奏方法を教えてくださるという先生に幸運にも巡り会うことができ、善は急げといわんばかり、コンタクトを取って1週間もしないうちに、操り方のまったくわからないその楽器を大切に抱えて上京したのであった。
その楽器とは、知る人ぞ知る、ロシア生まれの世界最古の電子楽器「テルミン」である。リオン?テルミン(Leon Theremin)博士が104年前に開発した、アンテナが2本生えた楽器だ。楽器には手を一切触れずに音を奏でることができる世にも不思議な20世紀の発明品。これを演奏している人の映像を見る限り、怪しげには見えるが、美しい音楽が奏でられていて、なんとなく自分でもできそうな気になる。しかし、である。音は誰でも出すことができるのだが(電源さえ入れれば勝手に音は鳴る)、実際にまともに演奏しようとなると、なんとまあ難しいこと!
そんなわけで8月の暑いある一日、テルミンの演奏方法の基礎を習得すべく、わたしの超短期テルミン留学が始まった。
神出鬼没!テルミン
そもそもの出会い、あれは4年前。大学の授業で使用している英語教材のDVDで、妙な楽器の同時合奏のギネス記録達成についてのニュース映像を観たのだ。そこでは、小型のテルミンが仕込まれたマトリョーシカ人形を300人ほどが演奏しており、そのなんとも異様な光景にわたしは魅了された。そして、その楽器は「マトリョミン」と呼ばれるものだとわかった。
気がつくと、わたしは中古の「マトリョミン」を買っていた。なぜか、2台も買っていた。すると、テルミンはひと昔前に一部のミュージシャンの間で流行っていたな、という記憶がよみがえり、さらに、テルミンの音色が含まれたロックの楽曲もいくつかあるよな、と、テルミンの音色を聴き漁るようになっていた。
テルミンが聴ける最も有名な曲といえば、わたしが敬愛するザ?ビーチ?ボーイズのアルバム『ペット?サウンズ(Pet Sounds)』のなかの1曲「駄目な僕(I Just Wasn’t Made for These Times)」だろう。後半でミョ~ンというオバケ?サウンドが聴ける。しかし、厳密にはあれはテルミンではなく、鍵盤で音階を弾ける「エレクトリック?テルミン」という楽器だそうだ。なんとまあややこしい(そもそもテルミンは電子楽器だろうに。)
では、アンテナのあるテルミンの演奏が含まれた曲はあったっけ?そうだ、あった。ハード?ロックの王者たるレッド?ツェッペリン(Led Zeppelin)の1969年の「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」の間奏で聴ける。そうそう、映画『永遠の詩(熱狂のライブ)』でジミー?ペイジ(Jimmy Page)が腕をブンブン振り回しながらテルミンを鳴らすのも一見の価値がある。
奏者と楽器の関係性について
レッド?ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」はロックの定番のような曲である。歌われる詩も、愛しておくれ!という精神的というよりもむしろ肉体的なストレートな内容である。しかし、聴き方によっては、好きなのにいうことをきいてくれないツレない「テルミン」をいかに愛すべきか悩む、「テルミン」とわたしの間に漂うモヤモヤを歌った歌にもなる。では、そんなイケズな「テルミン」求愛ソングを聴いてみよう。
You need cooling, baby I’m not fooling
落ち着け、ベイビー、オレはふざけてるんじゃないぜ
I’m going to send you back to schooling
おまえをもう一回しつけ直してやる
Way down inside, honey, you need it
心の底から、ハニー、必要なんだよ
I’m gonna give you my love
オレの愛をおまえにやろう
I’m gonna give you my love
オレの愛をおまえにやろう
Wanna whole lotta love
ありったけの愛がほしい
あまりにストレートすぎて考察のしどころもないのだが???、テルミンとわたしをこの詩に当てはめた場合、”You”と”I”、どちらがテルミンでどちらがわたしなのだろう。今回は”You”はテルミンを習いたい筆者のわたし、一方、”I”は奏者を求めつつ、愛もくれたがっている「テルミン」を指していると想定しよう。すると、奏者と楽器のあるべき関係というものが見えてくる。
You’ve been learning, baby, I’ve been learning
わかってきたな、ベイビー、オレもわかってきた
All them good times, baby, baby, I’ve been yearning
いい時を過ごして、オレはずっと求めてきたんだ
Way, way down inside, honey, you need it
心の底から、ハニー、おまえには必要だ
I’m gonna give you my love
オレの愛をおまえにやろう
I’m gonna give you my love
オレの愛をおまえにやろう
Wanna whole lotta love
ありったけの愛がほしい
なるほど、奏者と楽器、両方がないと成立しないわけである。どちらも同じ熱量、同じ愛情を交換できる関係が望ましい。いまのところ「テルミン」がわたしの愛情と技量に満足していないようだ。そして、ここで実際の演奏では延々と続くテルミンを含む間奏。
後半に入ると、落ち着いてテルミン教室を探してようやく演奏の仕方を学ぼうとし始めた「テルミン」がわたしを認め始めた。
You’ve been cooling, baby, I’ve been drooling
落ち着いてきたな、ベイビー、ずっと待ち焦がれてたぜ
All the good times, baby, I’ve been misusing
いい時を、ベイビー、すっかり間違った使い方していた
Way, way down inside, I’m gonna give you my love
心の底から、オレの愛をおまえにやろう
I’m gonna give you every inch of my love
余すことなくオレの愛をおまえにやろう
Gonna give you my love, hey, alright
オレの愛をおまえにやろう
Wanna whole lotta love
ありったけの愛がほしい
Way down inside, woman, you need love
心の底から、女よ、おまえは愛が必要だ
Shake for me, girl, I want to be your backdoor man
揺さぶってくれ、オレはお前のバックドア?マンになりたいんだ
Hey! Oh! Hey! Oh!
ヘイ!
Keep it cooking, baby
落ち着いていこうぜ、ベイビー
最後のスタンザに登場する”backdoor man”とは「情夫」のことだ。裏口から出入りする男。戦前のアメリカのブルースにルーツを持つのがロックであるから、きっと、ツェッペリンの方々は伝説のブルースマンのロバート?ジョンソン(Robert Johnson)のことなども下敷きにしてこの詩を書いているのだろうか。ロバート?ジョンソンはとある女性のバックドア?マンで、痴情のもつれで若くして命を落としている。
なにはともあれ、この詩の最後、奏者と楽器は求め合う仲となって幕である。楽器に求められるような奏者にならなければ、美しい音楽は奏でられない、ということだ。
成果
さて、わたしの「テルミン」超短期留学の成果報告である。
レッスンは1時間の予定であったが、時間を大幅に延長して、演奏の基礎を徹底的に教えてくださった先生のおかげで、音楽らしい音を鳴らせるまでになって留学を終えることができた。そんなわたしの素晴らしい「テルミン」の師はRom Chiaki先生。魔法のような演奏をなさいます。そんな先生からいただいた「テルミンを弾くべき人だ、あなたは」という言葉を励みに、これからも練習に励みます。
練習の成果をどこかで披露する機会がありましたら、ぜひ聴いてください。得体の知れない電波のうねりをみなさまの鼓膜に届けたい。I’m gonna give you my love!
それではまた。次の1曲までごきげんよう。
Love and Mercy
(文?写真:亀山博之)
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亀山博之(かめやま?ひろゆき)
1979年山形県生まれ。東北大学国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学。修士(国際文化)。専門は英語教育、19世紀アメリカ文学およびアメリカ文学思想史。
著書に『Companion to English Communication』(2021年)ほか、論文に「エマソンとヒッピーとの共振点―反権威主義と信仰」『ヒッピー世代の先覚者たち』(中山悟視編、2019年)、「『自然』と『人間』へのエマソンの対位法的視点についての考察」(2023年)など。日本ソロー学会第1回新人賞受賞(2021年)。
趣味はピアノ、ジョギング、レコード収集。尊敬する人はJ.S.バッハ。
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