2024年2月17日、土曜日、朝8時30分。その日、卒展が前の週に終わって春休みに入った静かな美術大学に、朝から大人13人が集まっていた。天気は快晴。
何をするかというと、大学から蔵王温泉街まで歩いてみよう、というもの。山形ビエンナーレ2024参加アーティストのひとりである、詩人?明治大学教授の管啓次郎さんに展覧会のためのフィールドワークとして蔵王温泉へ来ていただくにあたり、メールでご相談をしていたところ、「有志を募って歩いていくのも一興」と管さんが書かれていたことがきっかけだ。
大学から蔵王温泉街まで歩く!? 蔵王温泉街「を」歩くことはあっても、蔵王温泉街「まで」歩く、その発想は私にはなかった。
距離にしておよそ15キロ。自動車であれば20分ほどで着く距離だが、Googleマップで「徒歩」を調べてみると、4時間ちょっと。4時間か…と、自分の体力のなさへの不安が頭をよぎるものの、こういう機会でもなければ、蔵王温泉街まで徒歩で行くということはない。ただ、私の体力不足はひとまず置いておき、例年、2月は積雪量が多い。そのため、荒天の場合は(徒歩は)諦めましょう、とお伝えして、セッティングを進めた。
すると、どうだろう。2023年から2024年にかけて、山形県は例年に比べて積雪量がかなり少なく、2月に入ってからも山形市内は雪がほとんど降らなかった。2月上旬に開催している東北芸術工科大学の卒展の時期は、例年、ドカドカ雪が降って、来場するのが大変、ということがしばしばであるものの、あまりに雪が降らないため拍子抜けしたくらい。雪掻きで苦労することの少ない生活のしやすい冬だったが、冬場の樹氷やウィンタースポーツを目的とした観光客の多い蔵王温泉街にとっては、この雪の少なさは非常に大変なものがあったのではないかと思う。
ともあれ、大学から蔵王温泉街へ徒歩で行くことを検討していた2月17日は、それまでの天気も晴れが続き、道が雪で歩くことができないということもなく、奇跡的な「徒歩日和」だった。そうして集まった有志は、山形ビエンナーレ2024に関わる13名。
さて、私は管さんと一緒に歩くにあたって、管さんのある文章を何度も、何度も読み返していた。
歩くことはいつも
歩くことはいつもはじまりをなぞっている。森のはずれで暮らした私たちの先祖は、あるとき立ち上がって草原の彼方を見つめた。歩み出た。この世にやってきたきみは生まれて一年でその立ち上がりを再現し、一歩を踏み出したくてたまらなくなった。それで歩きはじめたのが、ぼくら。それからずっと歩いている。冒険みたいに。遊びみたいに。
知らない道があれば曲がってみる。野原があれば横切ってみる。山があれば登ってみる。砂漠があれば迷ってみる。こうしてみると歩くことの原則は本当に簡単。しかもそのすべてが発見にむすびついている。あるとき、歩くことでぼくはきみと出会い、それからときどき一緒に歩くようになった。植物や動物の暮らし、地形や町の成立を考えるようになった。お天気に、風に、すごく敏感になった。
今日はあなたも一緒に歩きましょう。話はしても、しなくても。歩いて出会うものをただ受けとめ、草をむすぶようにして覚えていこう。これも新しいはじまり、新しい発見。
管啓次郎
この文章は、私が以前企画した展覧会(本と美術の展覧会vol.2「ことばをながめる、ことばとあるく 詩と歌のある風景」太田市美術館?図書館、2018年)に、管さんが画家の佐々木愛さんとともに参加してくださった際に寄せてくださったもの。管さんと佐々木さんは、2009年から「Walking」というプロジェクトをされていらっしゃって、そのプロジェクトでおふたりは、ある土地を訪れ、歩き、その後、管さんが詩を書き、その詩を佐々木さんが読んで絵を描く、ということを行なっている。佐々木さんから管さんへ、詩の意図や意味を問うようなことはないという。あくまで、佐々木さんはひとりで管さんの詩を読み、そこから絵が創造されている。
そういえば、そのときは展覧会のイベントとしても、管さんたちと山を登った。大きな山ではなかったけれども。
そして、私は管さんがこの文章「歩くことはいつも」に書かれていることを、書いていただいてから約6年が経って、大学から蔵王温泉街まで歩くなかで、いっそう強く実感することになった。
今日、車であれば20分で行き来できてしまう距離を、いざ歩いてみる。すると、車のスピードでは見えないものが見える。車のスピードでは触れられないものに触れることができる。車のスピードでは聞こえないものが聞こえてくる。管さんが書くように、まさに、「植物や動物の暮らし、地形や町の成立を考えるようになった。お天気に、風に、すごく敏感になった」。
約4時間、途中、ところどころ休憩しながら、13人は付かず離れず、話をしたり、しなかったり。私はといえば、あんまり話さず、(ナビゲーターの役目だったので)先頭を歩いてしまったが。ふと、斎藤茂吉はどうやって蔵王温泉まで行ったのだろう、そのときはどんな天気だったのかな、ということも、頭をよぎったりする。川、雪、土、木、光、氷、石、山。茂吉も、いつだったか、こういう風景を蔵王で見ていたかもしれない。
そこここに、話をする人。写真を撮る人。紙やスマホにメモする人。ドローイングする人。考えている人。黙々と歩く人。そんな、歩く人たちの不思議な、楽しい集まりを、私はたまに思い出している。
(文?写真:小金沢智)
関連ページ:
山形ビエンナーレ2024
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東北藝術道のはじまり|連載?小金沢智の、東北藝術道 #01
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小金沢 智(こがねざわ?さとし)
東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師。
キュレーター。1982年、群馬県生まれ。2008年、明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了。専門は日本近現代美術史、キュレーション。世田谷美術館(2010-2015)、太田市美術館?図書館(2015-2020)の学芸員を経て現職。
「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンルや歴史を横断するキュレーションによって、表現の生まれる土地や時代を展覧会という場を通して視覚化することを試みている。
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