わたしの春休み
後期の授業が終わったからといって、大学の教員は仕事がなくなって暇になるわけではない。この2月と3月、独り黙々とずっと仕事をし続けてきた。テキストや論文の執筆、新年度の授業の準備などなど、むしろ学期中より忙しいくらいかもしれない。とにかく必死に机に向かいつづけていた。忙しいのはよいことだ。だが、誰しも、たまの休みは必要である。そんなわけでつい先日のこと、3日間の休みをみずから設けて、ちょっとした「春休み」を楽しんできた。
今回のわたしの春休み。それはちょっとした冒険であった???。
まず、某フリマアプリで購入した自転車を引き取りに東京に向かう。そして、その自転車に乗って山形まで帰ってくるという旅が今回のわたしの春休みのイベントだ。自転車を譲ってくださったのはマサシ&イザベルご夫妻。これからの旅のために必要な自転車のパーツの数々も譲っていただき、準備は万全!自転車が結ぶ友情に感謝だ。
フランス出身のイザベルさんは昔、海のそばに住んでおり、ヨットを楽しんでいたそうだ。風を操って海を走るヨットは、あちこち自由に行ける自転車とも似ていると話してくれた。今回の旅の道中、自転車でひたすら走っていると、風のなかの大洋に独りポツンと浮かぶヨットに乗っているような気持ちになって、ああ、イザベルさんの言っていたことがよくわかるなあ、と思ったのであった。
というわけで、今回の1曲はロッド?スチュワート(Rod Stewart)による1975年の?セイリング(Sailing)?。この曲、わたしが中学生の頃の英語の教科書に載っていたことを覚えている。ちなみにこのロッド版があまりにも有名だが、オリジナルは1972年のサザーランド?ブラザーズ?バンド(Sutherland Brothers Band)である。
ではこれから、この曲に合わせて東京-山形間400キロの自転車旅をお届けしましょう。今回は旅の写真が多めであります。
1日目 東京-宇都宮 向かい風
さあ、旅に出掛けよう。朝8時に出発だ。荷物はパンクしたときのための替えのチューブと最低限の工具、水、それとちょっとのお金。旅の荷物は少ない方がいい。旅の相棒は20インチという小さめのタイヤのついた1台。ミニベロというやつだ。
近くにいた方にシャッターをお願いし、東京駅で記念写真を1枚。いざ出発!「セイリング」もこんなふうに始まる。
I am sailing, I am sailing
出航だ、航海をはじめよう
Home again, ‘cross the sea
ふるさとへふたたび、海を越え
I am sailing stormy waters
海を越えていく、荒れた大海を
To be near you, to be free
あなたのそばへ、自由になるために
じじつ、この旅の間ずっと、恐ろしいほどの向かい風に苦しめられた。まさに”stormy(暴風)”な旅路だった。
スカイツリーの脇を通過。自転車とスカイツリーを一緒に写真に納めようと下からのアングルを狙ってみたところ、ここで背中を痛める。前途多難を予感させた…。その後、寅さんの柴又を通過、江戸川に出てひたすら北上。
黄色い菜の花がステキね、なんて思ったのは最初だけ。そこから同じような景色が延々40キロは続いただろうか、変化のない景色の海上でもきっと同じ気持ちになるのだろう。そんなふうに、ヨットと自転車の類似を江戸川沿いのサイクリングロードで痛感。そして、この単調さに、ひどい向かい風が加わった。下り坂なのに、漕がなければ止まってしまうという風による拷問に苦しめられた。
わたしは方向音痴なので、道に迷ってはかなりのタイムロスを重ねた。日が暮れる前に宇都宮に到着する予定であったのだが、宇都宮駅に着いたのは夜7時半。
風に翻弄された初日であった。
【走行距離】137.42km
2日目 宇都宮-郡山 ときどき追い風
さて、2日目。初日の向かい風地獄とはやや異なり、時折うまいこと追い風を感じることができた。漕がなくてもすごいスピードで空を飛ぶように進んでくれるときがあるのが嬉しい。「セイリング」の歌詞もそんな旅にふさわしい展開を迎える。
I am flying, I am flying
飛び立つ、空を飛んでいく
Like a bird, ‘cross the sky
鳥のように、空を駆け巡って
I am flying, passing high clouds
飛んでいく、高い雲を追い越して
To be with you, to be free
あなたとともに、自由になるために
那須あたりの田んぼ道を通過中、干し芋を売っているビニールハウスを見つけた。甘い匂いに釣られて立ち寄る。
干し芋ひと袋を購入し、サイクルジャージの背中のポケットに入れる。のちの過酷な旅の非常食として大いに助けてもらうこととなる。走りながら干し芋をときどき食べ、せっせと前進。この日は前日の反省が活きて(自転車用ナビアプリを初めて活用した)、道に迷うこともなく早めに目的地の郡山に午後4時に到着。
山岳レース用の軽くて硬い板のようなカーボンサドルに苦しめられ始めたため、タオルを購入。サドルに巻いてクッションを作ったりして夜を過ごす。旅はちょっと不自由なくらいがちょうどいい、それが旅の醍醐味だろう!などと思っていたのだが、翌日はとんでもない過酷な道が待っていた。
【走行距離】118.59km
3日目 郡山-山形 猛吹雪
さあ、いよいよ旅の最終日。地図で見ると今日の道のりは150kmを超えるため、日が暮れる前にゴールするため朝6時に出発。
郡山から宮城の七ヶ宿を経由して山形へ向かう。昨日までのあたたかな気温が一転、宮城は暴風雪警報が発令されているという知らせにおののく。奇しくも「セイリング」の後半部には、すさまじい航海の様子が描かれている。
Can you hear me? Can you hear me?
聞こえるか? わたしの声が
Thro’ the dark night far away
暗い夜、遥か遠くから
I am dying, forever crying
わたしはたまらない、永遠に叫び求めている
To be with you, to be free
あなたとともにいたい、自由になりたい
阿武隈川を北上、宮城に入り白石で山形方面に向きを変え、じわじわと峠を登り始める。七ヶ宿の手前あたりから暴風に雪が加わってきた。これは自転車向けの天候ではない。道路は雪で覆われた。峠のてっぺんあたりに付く頃には猛吹雪である。
この旅のために買った通気性のよいサイクリング?シューズはすっかり凍りついて、わたしの両足の感覚が消えた。吹雪で前はよく見えない。スリップするタイヤ。わたしは心で歌う、”I am dying, forever crying / to be with you, to be free “と。詩のこの箇所、”I am dying”を「わたしは死にかけている」と解釈したくなる状態のわたしであったが、あとに続く”to be with you, to be free”があることで、”die to~”という形を見なければならないから、これは「死にかけ」ではなく「~したくてたまらない/死ぬほど~したい」という意味だ。死ぬほどこの状況から解放されたいです!ということだ。航海も自転車旅もやめたくなるような状況というものは、一度はあるのだろう。
そういえば、”die(死ぬ)”の進行形は「死んでいる」ではなくて「死にかけている」ということですよ、と教えてくれた中学校のときの英語の先生の笑顔を思い出した。いかん、走馬灯だ。気を確かに昨日の干し芋を口にして、なんとか猛吹雪の七ヶ宿峠を越えた。
峠をくだり終えると、ついに山形県に入った。高畠町の看板が出てきた。この旅の相棒の自転車がすっかり凍りついていた。ギアもうまく入らなくなってしまったので、手で氷を取りのぞき、ひたすらゴールを目指した。
夕方5時。3月の雪は止まないままだったが、無事にゴール!帰ってきたのだ。白く化粧した大学が迎えてくれた。たまたま通りすがった大学の同僚である高栁先生がゴール記念の一枚を撮ってくれた。
【走行距離】155.19km
3日目は予定通り、150キロ越えの道のりであった。3日間で走ったのは411.2キロ。単調な景色や暴風に吹雪、いろいろなことがあった。自転車の旅はたしかに航海に似ていた。
これから本学に入学されるみなさんへ。慣れ親しんだ家を離れこの地にやって来て新たに大学生活を始める方もおられるでしょう。きっと、心細くなってホームシックにもなるかもしれない。けれど、東京からこの大学までは自転車での通学圏内だし、そもそもわたしたちはみな大洋を越える旅人だ。「セイリング」の最後のスタンザの主語は、”I”から”We”に替わっている。
We are sailing, we are sailing
Home again, ‘cross the sea
We are sailing stormy waters
To be near you, to be free
だから、長い航海、暗い闇夜を乗り越えて、ときに励まし合い、もがきながらも進んでいきましょう。ともに先へ航海を!
この「かんがえるジュークボックス」はこのたび1周年を迎えました。ご愛読くださる方々に感謝いたします。お便りも何通かいただきまして感謝感激でございます。これからもどうぞよろしく。
それではまた。次の1曲までごきげんよう。
Love and Mercy
(文?写真:亀山博之)
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第1回 わたしたちは輝き続ける~ジョンとヨーコの巻
第2回 バス停と最新恋愛事情~ザ?ホリーズの巻
第3回 孤独と神と五月病~ギルバート?オサリバンの巻
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亀山博之(かめやま?ひろゆき)
1979年山形県生まれ。東北大学国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学。修士(国際文化)。専門は英語教育、19世紀アメリカ文学およびアメリカ文学思想史。
著書に『Companion to English Communication』(2021年)ほか、論文に「エマソンとヒッピーとの共振点―反権威主義と信仰」『ヒッピー世代の先覚者たち』(中山悟視編、2019年)、「『自然』と『人間』へのエマソンの対位法的視点についての考察」(2023年)など。日本ソロー学会第1回新人賞受賞(2021年)。
趣味はピアノ、ジョギング、レコード収集。尊敬する人はJ.S.バッハ。
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