石川諒|江戸時代?元和寛永期の採石活動
千葉県出身
佐藤祐介ゼミ
香川県小豆島は上質な花崗岩の産地であり、元和?寛永期の大坂城再築の際には多くの石が切り出された。小豆島内には、今なお20箇所余りの大坂城跡石丁場が存在しているが(図1)、現在未調査のままで放置されている箇所や豪雨などで破壊が進んでいる丁場がいくつも見受けられる。また文献史料による研究は少なく、石丁場の詳細な検証や研究はほとんど行われていない。
そこで本研究では、香川県小豆島豆腐石丁場を対象とし、石材分布と刻印分布の状況から、明確で詳細な丁場範囲の推定を行った。また、当時の石工たちの労働編成や豆腐石丁場における採石から加工までの作業プロセス、労働形態についても検証を行った。
豆腐石丁場では、角石10個、種石24個、そげ石124個の計158個の石材を確認することができた(図2)。本研究においては、そのうちの角石10個と石割途中の残石1個に着目し、加工の痕跡や寸法などについて細かな分析を行った。また、石材分布の状況から、作業当時の丁場範囲の推定も行った。まず、豆腐石丁場に現存する10個の角石の寸法や加工痕を分析し、角石を生産するにあたって定められていた規格性を解明した。角石10個のそれぞれの最大長は10?19尺の範囲に偏りなく分布していた。このことから、丁場内で石材の大きさに偏りがでないよう、おおよそ尺単位で規格が設定されたといえる。また、最大長は面の幅を1とした時に比率が3に近しい数値であった。この比率の規格は、岡山県牛窓町前島の徳川期石垣にも見られることから、石垣普請という大規模な行程をより効率化させるために、全体の規格性を統一していたと考えられる(図3)。さらに、石割途中の石材が4人単位のグループによって掘られていたことを推察した。当時の石工たちは、自分の肩幅と大差のないような狭いスペースで作業を行なっていたが、複数人が同時並行的に掘削を進めることは、効率的な観点から見ても非常に有効であったといえる。そして豆腐石丁場の刻印は、計6種確認した。?に大、かぎ形、□に菱、○の4種、うずまきの1種、十の1種はそれぞれ分布する範囲が異なり、豆腐石丁場では、北東部、北西部、南西部の3箇所に分かれて作業が行われていたとみられる。この3箇所は、人工的に作られた平坦面が中心となっていることから、丁場内で石材を加工する場所がグループごとに定められていた可能性がある。
1. 岩谷石丁場の位置関係
2. 豆腐石丁場における石材分布図
3. 加工された角石