歴史遺産学科Department of Historic Heritage

平地真乃|仙台門松の消長と復元
宮城県出身
松田俊介ゼミ

 門松は日本の正月を象徴するものであると言っても過言ではないだろう。しかし、近年では生活様式の多様化から、本格的な門松を立てる家庭は珍しくなり、デパートやオフィスビルの出入り口で見られることが多くなっている。そのような社会変化のなかで、仙台の伝統的な門松を復元させ、かつて仙台の城下町を彩った正月風景を再現しようとする取り組みが、さまざまな人や組織を通じて行われている。
 仙台門松について、菅野(2022)は、三階松?五階松を用い、栗や椚を心柱として用い、鬼打木と呼ばれる割木を下部に取り付け、注連飾りにケンダイと呼ばれる飾りを付けたものが仙台門松の特徴であると説明しているが、旧仙台藩領内であった全ての地域に立てられていたわけでもないと主張している。仙台藩政時代、仙台城に立てられる仙台門松の材料は、根白石村(現在の仙台市泉区根白石)に住む「御門松上げ人」と呼ばれる、8人の百姓たちが献上することが恒例であったと倉橋(2010;2020;2022)の研究で明らかとなっている。御門松上げ人たちは寛文10(1670)年の時点で42門分、すなわち五階松と心柱を84本ずつと、寸法が決められている252枚分の鬼打木を用意している。これらから、御門松上げ人たちは、木材を切り出す際の決まり事や作法を守り、膨大な量の木材を運びながら、険しい道のりを歩き、仙台城に門松の材料を献上していた。その責任と負担は非常に大きなものであったと考えられる。
一度は人々の前から姿を消してしまった仙台門松であったが、博物館などの文化系施設が主体となり、再現に成功した【図1】。くしくも東日本大震災が復元の契機となったが、複数の施設で連携し、再現展示をすることで話題作りとなり、人々が仙台の伝統文化に関心を持つことで、施設の活性化につながった。また、その活動は企業や大学、地域にも広がった。市民が主体となり、観光振興のためのではなく、地域のための伝統継承を行うことで、文化的な地域活性化が期待できる。さまざまな立場の人々を巻き込んでいくことが、これからの伝統継承や旧慣維持において肝要である。

1. 瑞鳳殿の仙台門松(筆者撮影)【図1】