歴史遺産学科Department of Historic Heritage

堀内康介|東北地方における石製模造品の伝播 ―上柳渡戸八幡山遺跡を中心としてー
茨城県出身
青野友哉ゼミ

 石製模造品とは、祭祀遺物である。その名の通り、石で作られた模造品であり、その形態には剣?刀子?斧?鎌などがある。四世紀後半ごろに近畿地方中央部に出現し、五世紀に盛行した。古墳においては、死者を墓まで葬り送る「葬送」、集落?祭祀遺跡では神々や祖先を祀る「祭祀」と「儀礼」の場面において使用された。
 本研究ではこの石製模造品について、特に山形県尾花沢市にある上柳渡戸八幡山遺跡を中心として、東北で出土した石製模造品の分布や形状の変遷を調べ、伝播の流れを探ることを目的としている。
 石製模造品の研究は大正時代に始まり、高橋健自がその宗教的?象徴的な意義を初めて指摘したことが、後の研究の基礎となった。昭和期には、伊東信雄が東北地方における分布状況を明らかにし、文化の伝播や祭祀遺跡との関連性を詳細に考察した。特に、東北北部では古墳が少なく、代わりに祭祀遺跡が多いことが確認され、石製模造品が宗教的?儀礼的用途で広く用いられていたことが示された。また、寒冷な気候や経済条件が東北地方の文化形成に影響を及ぼし、畿内との差異を生み出したと考察された。昭和後期には、亀井正道や大場磐雄らが石製模造品を祭祀の道具として整理し、農耕儀礼や神道儀礼との結びつきを指摘したことで、祭祀研究がさらに深化した。平成になると、河村一隆が編年や地域的特徴を体系化し、佐久間正明が刀子形石製模造品の製作技術を復元、技術伝播や情報共有の存在を明らかにした。建鉾山祭祀遺跡では多様な石製模造品が発見され、複数の集団や首長が関与した可能性が浮き彫りになった。
 また、山形県八幡山遺跡の先行研究は以下の通りである。はじめに伊東信雄は、八幡山遺跡の石製模造品を古墳時代中期の文化伝播の証拠と位置づけその年代を5世紀前半とした。一方、川崎利夫は8世紀説を提唱し、『続日本紀』の玉野新道と関連づけた。加藤稔は土師器坏の形式から古墳時代中期の引田式期と結論づけ、その一貫性が支持されている。また、新たな分析では、八幡山遺跡が古墳時代前期から機能していたことや、東西文化交流を反映する重要拠点である可能性が示された。

1. 上柳渡戸八幡山遺跡出土の石製模造品1

2. 東北地方の石製模造品分布図(筆者作成)