文化財保存修復学科Department of Conservation for Cultural Property

[優秀賞]
益子世莉|イコンにおける 下層と加筆された表層の関係性について ―自然科学的な手法から―
神奈川県出身
中右恵理子ゼミ

はじめに、イコンとは板を支持体に描かれる聖像画を指す。信仰の対象である性質から劣化に伴い新たな層を描き加える慣習があり、研究対象として扱った当ゼミ所蔵のイコン(以下、本作)でも、X線を用いた観察から鑑賞面より下に異なる描画が認められた。この層状の構造を起点とし、加筆によって生じた表層と下層の関係について調査および考察することを本研究の目的とした。また本作は来歴や状態に対し整理された情報がなく、現状や過去について不明点が多い。したがって将来的な保存処置を視野に、本作の実態を明らかにすることも研究の一部とし進めた。調査は自然科学的な手法と専門的な情報収集から進め、来歴に関する調査の結果、19世紀ロシア地域(ロシアイコンに準じた様式)で家庭用に制作された作品として判断した。さらに、過去には金属装飾(リザ)が付属していた可能性もあり、調度品として高位であったことを示唆した。推定される制作時期から現在までの間、状態は加筆によって支えられていたと考えられ、さらには2?3回にわたり手が加わっていることを明らかにした(図1)。ただし、その度に全面的な加筆が施されていたとは考えにくく、図像や背景など特定する部分の比較から、異なる方法で施されていると推察した。これは大きく2つに分類し、塗り替えに等しい大幅な表現変化があるものを「描き直し」(図2)、単発的且つ周囲と馴染むように描かれるものを「部分的な補修」(図3)とした。これらの行為に至るタイミングや筆を取る人物については推測が及ばなかったが、いずれも段階的な行為によって層構造を形成していると考えた。一連の調査から、下層は過去として表層に覆われているものではなく、隔絶した関係ではないことを結論とした。また表層の描画には下層が手本とされている傾向が見られることから、下層は画面の構成要素として表層へ影響を与えていると考える。このような行為による作品の継承には、本作を信仰物として理解し尊重してきた管理者の存在も同時に推察される。最後に本研究を通し、来歴不明の作品に対する基礎的調査が実施された一方で、度重なる加筆が損傷の根本的な原因を覆い隠していることも明らかにした。したがって、適切な保存処置の検討は今後の課題と考える。


中右恵理子 准教授 評
 最初に益子さんが作品を目にしての情報は、これはイコンという種類の絵画である、という程度で、それ以上の作品情報はゼロであった。まず保存する対象の物を知るというのは私がよく言っていることだが、益子さんはありとあらゆる角度から情報収集を行い、このイコンが何者であるかを明らかにした。?
 中でも文献学的な手法から語られることの多い作品の来歴について、赤外線、紫外線蛍光、X線、顕微鏡、蛍光X線、下地に用いられた膠の分析、クロスセクションなど考え得る限りの様々な自然科学的な手法を用いてアプローチを試みたこと、そこから得られた情報を粘り強く分析し、構築していったことは評価に値する。作品そのものを調べることによって文献調査からは得られない情報を引き出すことが出来るという本学科ならではの研究成果ではないかと考える。?
 これからも真摯に作品に向き合い続けていってもらいたい。優秀賞おめでとう。?

1. 絵画層の断面画像

2. キリスト(左から通常、X線)

3. 聖人(左から紫外線、通常光、X線)