歴史遺産学科Department of Historic Heritage

山田幸凪|福島県宮畑遺跡における土器の出土パターンと形成過程の検討
福島県出身
青野友哉ゼミ

 宮畑遺跡は、福島県福島市に所在する縄文時代中期から晩期の遺跡で、断続的集落が営まれた(図1)。中期後葉の竪穴住居址には焼失住居が認められること、集落縁辺斜面上に遺物包含層が複数形成されていることなどの特徴がある。この遺物包含層の一つは、日常生活に伴う廃棄の結果形成されたものではなく、短期間で形成されたと報告されており、背景に儀礼行為があったことが示唆されている。従来の研究では、住居址と遺物包含層という異なる出土場所を比較する研究はなされていなかったため、以上のような特徴を持つ宮畑遺跡を対象に事例を検討する。本研究の目的は、竪穴住居址床面出土遺物と斜面に形成された遺物包含層の出土遺物と各出土状況を比較することで、宮畑遺跡での一括出土土器の時期と傾向を把握し、「捨て場」、「送り場」とされる出土状況の形成過程と性格を明らかにすることである。
 まず竪穴住居址での出土事例をまとめると、中期末葉から終末の時期で住居址数、焼失が認められた住居址数が共に最多となる。一方、後期に分類される住居址では焼失がほとんど見られない。床面で遺物が確認され、焼失が認められた住居址の中には、焼失前に床面への土器の配置と炉石の抜き取りなどが確認され、儀礼行為があったことを指摘できる事例がある(図2)。次に集落縁辺斜面の遺物包含層での出土事例をまとめると、ⅩⅨ区では後期中葉加曽利B2式期に併行する後期中葉の遺物包含層が確認された。この包含層は短期間で形成されたもので、大型の土器片の出土が多いこと、接合関係をもつ破片がある程度のまとまりをもって出土していること、出土土器は精製品が多いことなどの特徴が挙げられる(図3)。
 これらの出土遺物と出土状況を比較すると、二つの可能性が指摘できる。第一に、ⅩⅨ区の遺物包含層が後期中葉の時期に短期間で形成されたということから、同時期の住居に居住した人々によって土器が廃棄/遺棄された可能性である。第二に、宮畑遺跡では異なる儀礼行為が併存した可能性である。複数形成された遺物包含層の中に、住居数?焼失が認められた住居数が最多となる中期末葉から終末のものと重なるものがある。この包含層は人為的な埋め立てが認められたという特徴がある。以上より、住居の焼失を伴う竪穴住居址での儀礼行為と、集落縁辺斜面への意図的な廃棄/遺棄が併存したと言える。

1. 宮畑遺跡のトレンチ図(遺跡南側抜粋)

2. 21号住居址(2004)の出土状況

3. ⅩⅨ区の出土状況