加賀美宏輔|アイヌ文化期における刀剣利用の変化
宮城県出身
青野友哉ゼミ
目 次 アイヌ文化期における刀剣/研究の目的/刀身形状による分析/考察
北海道において、続縄文期以降の副葬品には鉄製品の出土が確認されるが、明治期の初頭まで基本的には鉄製品を自製しないとされている(笹田2013)。14世紀頃から成立したとされるアイヌ文化の中でも、金属製品は「イコロ(宝物)」と呼ばれるほど大切に扱われてきたものである。
特に鉄製の刀剣は文化的な影響が大きく、利器として戦闘に用いられていた他、「タプカラ」という呪術行進に代表されるような儀礼(瀬川2015)や、婚姻の際の贈り物などにも刀剣が使われていたことが知られる(関根2014)。また、刀剣そのものを指して「イコロ」と呼ばれるほどアイヌに重宝された(図1)。
先行研究では出土品の地域性と時代ごとの出土傾向についての研究が行なわれている。しかし、刀剣が本州や大陸から北海道に流入した経路や、製作地の特定、伝世品との比較は行われていない。本研究ではアイヌ文化期における刀剣(蝦夷太刀)について利用やその扱われ方の詳細を明らかにすることを目的に、時代とともに利器から儀器へと切り替わったとされる蝦夷太刀の用途の変化を刀身の形状や装飾から検討を行う。
研究対象とする蝦夷太刀は、道央部の余市町やせたな町などアイヌ文化期に交易の拠点であったと考えられる地域の遺跡の出土品を中心に抽出した。時期はアイヌ文化期の初期である14世紀から15世紀、蝦夷太刀の出土に変化が見られ始めた16世紀から17世紀、シャクシャインの戦い以降、アイヌの生活が日本経済に組み込まれた18世紀以降で分類した。
刀身の反りの深度や厚さと、装飾の位置の二つの項目から検討を行なった(図2)。研究の対象とした蝦夷太刀は60点である。刀身の身幅は最大の数値を記録し、厚さは鞘の残存部など付着物が少なく、欠損が認められない部分を選んで測定した。反りは切先あるいは残存する刃部の先端と刃部の棟側の付け根を直線で繋ぎ、その直線と最も離れた棟との距離を測定した(図3)。
14世紀から15世紀の蝦夷太刀が武器としての使用に耐えない形状をしていたことから、アイヌ文化期の初期に流入した蝦夷太刀はその大半が武器として利用されず、あくまでも宝物として扱われるか、儀礼に用いられたのではないかと考えた。また、16世紀以降の刀身の形状は、戦闘が可能であると推測されるものも見られるが、シャクシャインの戦いをはじめとした闘争が起こり、一時的に、また補助的に刀剣を武器として用いていたと推測する。