生石2遺跡出土土器群からみる遠賀川系土器の影響
武田寛成
山形県出身
青野友哉ゼミ
本研究では、遠賀川系土器がどのような目的 で作成され、使用されていったのか、また、在 地系との違いはあるのかを検討考察し、最終的 にその当時の人々の暮らしに遠賀川系土器が どのような影響を与えたのかを明らかにする。また、東北地方北部の遠賀川系土器は土器棺など が見つかっているため、多くの研究事例がある が、東北南部では、そのような事例が少ないた め研究事例が多くない。そのため、酒田市発掘の未報告資料を再整理し、報告済み資料と見比べ、観察し、出土状況や型式、器種を判別し、遠賀川系土器が与えた影響を研究した。
研究結果から、、生石 2 遺跡の土器 群は砂沢式(1)や遠賀川系の影響を受けながらも 在地色が強い土器型式だった事が分かった。出土状況から遺構内出土土器に類遠 賀川系土器(2)が多いことが分かった。器種別では、 甕が 9 点、壺が 9 点であった。また、報告書か ら出土状況が分かる細頸壺と甕に関しては再 葬墓として甕が細頸壺の蓋として使われたと 分かった。そのため、土壙や堀込遺構から出土 している壺や甕に関しては壺に甕が蓋になる 形で再葬墓に使われたのではないかと考える。(3) また、埋設土器近辺に骨粉が散布される点から も再葬墓に使われたと推定できる。
以上のことから当時の生石 2 遺跡に住んで いた人々は在地の技術と外来の技術的影響を 受けた類遠賀川系土器に特別な意味を持たせ、 墓といった精神生活を行う上で特別な場所に 再葬墓や土器棺墓という形で使用していたの ではないかという一つの考察ができた。この考 察から類遠賀川系土器は生石 2 遺跡に住んで いた人々にとって、墓制に影響を与えるほどの 大きな意味を持った土器群だったと考える。