鑑賞教育の深遠を探る-自己認識と芸術(人間)の多様性について
源由華(芸術文化専攻 芸術教育学領域)
神奈川県出身
吉田卓哉ゼミ
本研究は、学校の美術の授業の「鑑賞」において、自己?他者との多様な対話を通じて、他者?社会?世界への認識の変化や自己の深まり?価値意識の転換など、自己の変容を促す契機となる授業を構築し、芸術(美術)教育のさらなる深化を図ることを目的とする。
滚球体育の流行?混乱で、未だ多くの人の尊い命が失われている。それに伴う人種差別意識の露呈、他国の圧政、国際社会の分断など、様々な社会的問題が噴出している。今まで潜在的にあった事象が表層に現れ,人間の尊厳が極度に希薄化した時代を私たちは生きている.
また、インターネットの発達の影で進む他者との境界や自己の曖昧さ、蜃気楼のような手応えのない世界が広がっている.「共感が『いいね!』、批判が『死ね』などと単純に表現される現代は、言葉が沈黙の領域を経ていない、失語状態に陥っているようにみえる」.視野狭窄に陥りやすく,他者の発した無責任な言葉によって人の心は図らずとも蝕まれやすくなっている。このような容易に将来を描くことのできない時代の中で、一体何を灯火として生きたらいいのだろうかと思う.
上野行一は著書の中で、他者の目を通して世界を捉えることが常態化している現代こそ、美術鑑賞の根源的な「みる」行為が必要だとの趣旨を述べている。学校教育の中では使い古された言葉になりつつあるが、今こそ、変化の激しい社会を生き抜くための「生きる力」の育成が急務であると考える。単に社会に適応し現状を維持するのでなく、自分の見方に立脚して世界を深く捉え、自己や社会を変革する力が必要であると感じるし、自己の課題意識としてもある。これが、本研究の契機である。