近現代の山形県西村郡河北町における契約講の役割
吉田脩道
青森県出身
竹原万雄 ゼミ
目 次 研究目的/対象地域と契約講/先行研究と研究方法/研究結果
本研究の目的は、明治以降の山形県西村山郡河北町における契約講の役割を明らかにすることである。
河北町は、山形県の中央部、山形盆地の北西部に位置し(図1)、水田や果樹園を生業としている。本研究では、河北町の荒町?勝木沢?上工藤小路?大東?中楯?東町の契約講を扱う。河北町の契約講は、それぞれの地域で独自に発達した組織である。主に神社の祭典事務、用水堰や道路の建築?修理、村の安全保護、生活の改善などを契約講の活動としていた。これらの活動に関する事項を各地域で記録した帳簿が契約講帳である。また、契約講帳には村内外の事件や政治の動向、紅花などの農作物に関する相場などの情報も記録し、商売や生活に利用していた。契約講の発生年代は不明であるが、大町の契約講帳である、『大町念仏講帳』には「寛永七年ヨリノ念仏講」とあることから、少なくとも寛永7(1630)年から存在していることが分かる。
河北町の先行研究は、高橋統一?大藤修?桜井徳太郎があげられる。高橋の研究では、河北町の沢畑における契約講の組織の構成に関する研究、大藤は契約講の情報入手やコミュニケ―ションに関する研究、桜井の研究では、契約講の村落における機能の分類などが述べられている。これらの先行研究では複数の契約講帳が使用されている。しかし、先行研究では近世を対象にしたものも多く、使用されていない契約講帳もある。そこで、本研究では先行研究に使われていない契約講帳を使用し、近現代を対象とし研究を行う。使用する契約講帳は、『念仏契約講年代鑑』?『各村契約講中記録集成(二)』?『大町念仏講帳』の3つである。
各契約講帳の規約を確認し、運営に関する規約と葬儀に関する規約に分類した(表1)。以上の2つから契約講の役割をみていく。運営に関わる規約から、ほとんどの契約講で親睦と相互扶助の役割がみられた。親睦は、従来の弊習を矯正するために設けられていた。相互扶助では、災難があった際に互いに助力するよう定めた規約が複数確認できた。葬儀に関する規約からは、禁酒や悔み饅頭の廃止を定めた規約などから倹約の役割がみられた。また、契約講に所属している者の家族が亡くなった際に、その葬儀を全て担当するよう定めた規約が確認でき、葬儀運営の役割がみられた。以上のように、運営に関する規約から親睦?相互扶助の役割がみられ、葬儀に関する規約からは、倹約と葬儀運営の役割がみられた。